2022.09 | 便所棟、シャワールーム棟が竣工 | |
2022.03 | AAFが認定NPO法人となる | |
2021.01 | ブッダ・スクールでコンピュータールーム棟の建築工事が完了。 | |
2019.06 | 地震で被災した便所等の再建工事が完了。 ブッダ・スクールの震災復興事業が終了。 | |
2018.09 | フィリムに5棟目の寄宿舎が竣工。 | |
2017.03 | 3棟目の寄宿舎の再建工事が完了。 | |
2016.07 | 2棟目の寄宿舎の再建工事が完了。 | |
2016.07 | 自由都市・堺 平和貢献賞を受賞。 | |
2016.04 | 1棟目の寄宿舎の再建工事が完了。 | |
2016.01 | 寄宿舎の再建工事に着手。 | |
2015.09 | フィリムの被災状況を調査。再建計画を策定。 | |
2015.05 | ネパール大地震フィリム緊急支援募金活動を開始。 | |
2015.04 | ネパール中部大地震により、ブッダ・スクールが被災。寄宿舎3棟および建設中の教員宿舎が大破。 | |
2015.02 | 「ヒマラヤの学校建設15年の軌跡~AAFのNGO活動展vol.3」を開催(ギャラリーA4/東京)。 | |
2013.12 | 3期工事の教員宿舎が着工。 | |
2013.02 | 厨房棟竣工。 | |
2012.09 | フィリムの3期工事の第1弾として厨房棟が着工。 | |
2011.12 | 4棟目の寄宿舎が竣工。 | |
2011.09 | UIA2011東京大会第24回世界建築会議にてフィリムの学校プロジェクトを発表。 | |
2011.07 | ネパール政府よりブッダスクールの寄宿生に奨学金の支給開始。 | |
2011.06 | フィリムで4棟目の寄宿舎が着工。 | 敷地に搬入された石材と木材 |
2011.05 | 在ネパール日本大使館の書記官がブッダスクールを視察。AAF代表が同行。 | |
2010.03 | 「ヒマラヤの学校建設その後~AAFのNGO活動展 vol.2」を開催(ギャラリーA4/東京) | |
2009.10.3 | 国際石材建築賞受賞(ヴェローナ、イタリア) (INTERNATIONAL AWARD ARCHITECTURE IN STONE 2009 - XI EDITION) | 日経BP, 共同通信 Marmomac |
2009.05 | 2期工事竣工。 | |
2009 | ブッダスクールの卒業生ウルミナさん(右)が先生として赴任。ウルミナさん、プルダニさん(左・2008年に赴任)は、共にさくら寮の出身。 | |
2008.08 | 国際巡回展「地球にやさしい建築展」に出展。 | |
2007.04 | 日本建築学会賞(業績賞)受賞。 | |
2006.10 | 「パラレル・ニッポン 現代日本建築展1996-2006」(東京写真美術館)に出展。 | |
2006.08 | カニヤキャンパスポカラ女子寮竣工。 10名の第1期生が入寮。 | |
2006.04 | フィリムの学校建設支援に対して、第1回こども環境学会賞奨励賞を受賞。 | |
2005.08 | カニヤキャンパス ポカラ女子寮着工。 | |
2005.07 | 「AAFのNGO活動~ヒマラヤの学校建設~展」を開催(ギャラリーA4/東京)。 | |
2005.04 | 『ヒマラヤに学校を建てよう!建築家のボランティア奮闘記』(彰国社)を出版。 | |
2004.12 | JNFEAとの提携により、ポカラのカニヤで女子寮の計 画に着手。 | |
2004.04 第26次隊 | 竣工1年後検査。 学校の運営状況、宿舎の必要性を確認。 2期敷地にて縄張り。 | |
2004.02 | 奨学金(松浦基金)スタート 廃屋を食堂に一時改修 実験室を宿舎に一時改修。 各村の生徒数を調査。 2期工事の見積。 | |
2003.05 | 2期工事へ向けた資金活動開始。 | |
2003.4.18 第21次隊 | Budda School 遂に竣工、開校を迎える。 松浦基金の運用を検討 → 外の村から通う生徒のための奨学金。 | |
2003.2 第20次隊 | 2期工事のための条件提示。 竣工式4月18日の打ち合わせ及び銘板記載文の検討。 | |
2002.12 第19次隊 | 外構の決定、・2期用地の確認、・資金管理状況の確認。 | |
2002.11 第18次隊 | 日本大使館と関税、古着、教師派遣について協議。 合板数量チェック。 教育省、経済省協議。 | |
2002.10 第17次隊 | 木材切出し作業の撮影。 | |
2002.9 第16次隊 | 南ブロック石積マグサ上まで完了。 北ブロックは基礎から50センチまで施工中。 木材は10月中に全部搬入予定。 日本大使館へ中間報告、決算は2003.3月に延期で了承。 工期延長、古着コンテナ11月中発送予定。 2期計画ABC案検討 賃金の調整等 | |
2002.08 | 2期工事の計画についてスタディーを開始。 | |
2002.07 第15次隊 | ゴルカ郡議長や近隣村長らと、12月竣工へ向けた協力体制について話し合い、調整。 郡教育長と、教師の人材および給与確保等に関して話合い。 | |
2002.05 | マオイストの破壊活動がフィリムにもおよび、無線通信を喪失。 (攻撃対象は政府機関であり、外国人と現地住民には危害を加えない。) | |
2002.4-5 第14次隊 | 強制ゼネストの中、出発。学校建設の体勢(責任者、賃金、工事管理、報告など)建て直し。 周辺村落への建設のアピール、および就学人数の調査をトレッキングにて実行。 治安の影響から、やむを得ず範囲を限定。 | 訪問した奥の村の子供たち |
2002.03 第13次隊 | 日本大使館にて「草の根資金援助金」授受。 ゴルカ郡の議長、村長らと会合。就学の対象地域にある9つの村の代表者からなる、建設委員会の組織を依頼。また、村長が村に常駐できない為、代理の工事責任者をたてることを依頼。 現地にて、発生していた資金管理の問題を処理。収支の報告を受け、賃金未支払い分を精算。 4月工事再開を決定。雨季に入るため、工事は12月完成を目指す。 賃金の支払方法、工事管理の方法について改善策を指示。 パタンの小学校にてヒアリング。 | まる2日間終日の支払い作業。就労記録に基づき、労働者(村人)ひとりひとりに直接手渡す。 |
2002.02 第12次隊 | マオイストの活動が活発化し治安がますます悪化。交通の危険などから現場監理が十分できない状況。 2期用地について、草の根無償資金の口座開設について、村長と協議。日本大使館とも協議。 生徒募集チラシ、プライウッド、アクリボード選定。 度重なる賃上要求に対し工事を一時ストップ。 新任の監督決定。 パタンの小学校を視察。 | |
2001.12 第11次隊 | 治安悪化のため現地入りは見送り、カトマンズにて打合せ。 工事進捗状況(45日遅れ)と、開校時期(6月)を確認。 擁壁、壁厚、梁などについて打合せ。 新任の現場監督と作業チーフの関係など、作業指揮系統などについて打合せ。 教師(12名)は、民家に宿泊することを確認。 日本大使館にて、草の根資金援助覚書文書を締結。 ゴルカ選出の国会議員を通じて文部省事務副次官と打合せ。 難航している2期工事の用地選定について打合せ。 | |
2001.10.26 | 大阪府建築士会シンポジウム開催。 「私たち建築士がアジアにできること ネパールの学校建設を通して」 パネラーに松浦輝夫(*)さんらを招待。 (*)松浦輝夫 故植村直己とともに日本人してチョモランマ初登頂(1970)を果たした登山家。現在、学校建設支援活動を準備中。 | |
2001.10 第10次隊 | 合成梁や屋根材の仕様を決定。運搬仮置きした石材の数量を検分。 周辺の村へのトレッキングによるPR計画について打合せ。 現場監督の工事管理が不十分であると判断。新たな人選を行うことを確認。 地鎮祭を挙行(10/19)。 基礎堀方が終わった南側教室建設地中央に、鎮めもの、穀物、花、酒(ロキシー)などを乗せた円形の盆が設置され、そこに読経する2名の祈祷師、そして直角に向かい合わせにAAFのメンバー2人(赤尾・山内)が座し、そのまわりを村人が取り囲んで行われた。 まずAAFメンバーは、水で手を清め、ロキシーを口に運ぶ。女性の祈祷師と通訳が、銅製の小さな器6つに、金銀の古貨、穀物、酒、水銀などを次々にいれてゆく。その後、女性の祈祷師とAAFメンバーと村長が、四方清祓のような行事を行う。すなわち、基礎堀の隅部の6箇所を次々と訪れ、器を収めた上に、赤尾氏と村長が壁石を蓋をするようにかぶせ、その上に小石を2個並べ、その後村人数人が、穀物・酒・花などを注ぎ込む。 以上で地鎮祭が完了。 その後、石材の運搬仮置きしてできた、高さ1mのステージで、村長、建設委員会、保護者の代表、警備団、AAFなどがスピーチ。 | |
2001.08 第9次隊 | スレート、セメント、木材等、資材の調達方法とコスト、各部位の寸法および施工方法、工程管理などについて打ち合わせ・確認。 通学路の確認を行い、入寮するであろう生徒数は約100人との報告。 MCAP(Manaslu Conservation Area Project)と会合。 カトマンズの占い師により起工式の日取りを決定。 日本大使館にて、補助金・マオイストへの配慮などについて打合せ。 ゴルカ州のDDC(District Develeopment Commitee)議長と、建設資金および教師の派遣について打合せ。 | |
2001.4-5 第8次隊 | ネパール人の工事監理者、現場監督を面接、現地へ同行し依頼条件の確認と合意、ネパール人現場監督を常駐させ、石材、木材の本格的調達を開始。 フィリム村建設委員会との間で資金管理方法について協議、報告書・領収書の書き方等の指導。 敷地の再実測。 | |
2001.04 第7次隊 | カトマンズ日本大使館にて、入域許可及び補助金申請の確認。 フィリム村に対するAAFからの入金方法についてフィリム村長と確認。 | |
2001.01 第6次隊 | SWCおよび在ネパール日本大使館と補助金(草の根無償資金協力)等についてヒアリングを実施。 | |
2000.12 第5次隊 | 木材・石材等現地の材料を調査・確認。 フィリム村長とAAFが学校建設計画の合意書に調印。 | |
2000.11 第4次隊 | フィリムを管轄する政府機関であるゴルカ郡のCDO(州知事)、およびカトマンズのSWCを計画の合意のために訪問。 | |
2000.04~05 第3次隊 | 現地の代表者(グルン村長)に基本計画案を提示。 在ネパール日本大使館、およびカトマンズのSWC(社会福祉委員会)等に現地の社会状況、支援のシステム等についてヒアリングを実施。 | |
2000.04 | 基本計画案を作成し、団体名称を"AAF(Asian Architecture Friendship)"に決定。 | |
1999.12 第2次隊 | フィリムの敷地実測等、計画のための事前調査を実施。 | |
1999.11 | フィリムでの学校建設計画「ネパール・スクール・プロジェクト」着手を決定。 | |
1999.10 第1次隊 | ネパールのビンフェディとフィリムを視察。 | |
1998 | 竹中工務店へのネパール人留学生から、当地の教育環境について紹介を受ける。 低就学率、低識字率(約40%)、社会的教育不備。 殊に学校建設は公立といえども住民負担であり困難。 | |
1996 | 竹中工務店設計部有志を中心としたメンバーがチベット、中国福建省の土楼を視察。 |